『古事記』では少名毘古那神、『日本書紀』では少彦名命と記されている。
『古事記』では、大国主神が出雲の美保崎にいた時に、天之羅摩船に乗り、蛾の皮の衣服を着て近づいてきた小さな神とある。久延毘古に「神産巣日神の御子の少名毘古那神である」と聞いた大国主神が神産巣日神に真偽を尋ねると「確かに私の子だ。私の手の俣より落ちこぼれた子である。あなたと兄弟の契りを結んで国を造りを堅めよ」といわれた。そこで二人でこの国を経営した。その後、少名毘古那神は常世の国へ渡った。
また『日本書紀』の一書には、大国主神がミソサザイの羽を着た小さな神を掌で弄んでいたところ、跳んできて大国主神の頬に噛みついた。そこで高御産巣日神に訊ねると、「自分の子の一人だが、いたずら者で指の間からこぼれ落ちたものだ」と言われた。
また『出雲風土記』では、大国主神と力を合わせて五百津鉏で国を造り固めたとある。『伊予風土記逸文』では、大国主神が病に伏した時、少名毘古那神が癒そうとして、大分の速見湯を下樋から持ってきて湯浴みさせると、やがて回復した。これが道後温泉の源であるとされている。
大国主神、少名毘古那神の二神を温泉の神とする信仰は、『伊豆風土記逸文』その他各地の伝説にもあり、広く崇められている。また医療や禁厭の法の制定者でもあり、さらにまた神宮皇后の大神神社での酒の神としての御歌もあり酒の神としての信仰も強い。
大国主の大と少名毘古那の小との関係は陰陽にも通ずるし、小さい小神は、後世の倭姫命の小虫生成説や一寸法師などの説話の祖型ともみられている。