『古事記』では神倭伊波礼毘古命、若御毛沼命(わかみけぬのみこと)、豊御毛沼命(とよみけぬまのみこと)などと記され、『日本書紀』には、神日本磐余彦天皇、また本名は彦火々出見と記されている。有名な第一代天皇である神武天皇である。
鵜葺草葺不合命と玉依毘売命との間に生まれた四人の御子の末子にあたる。『日本書紀』によると、「生まれながらにして明達、御心確如たり」とあり、十五歳で皇太子になった。そして日向国吾田邑の吾平津媛を妃として、手研耳命をもうけた。この後のいきさつは『古事記』『日本書紀』で細部が異なるが、『古事記』では、四十五歳の時、兄の五瀬命と謀って、天下を治めるのに適した地を探して筑紫に向かったとある。
その後、筑紫の岡田宮で一年、安芸国の多祁理宮で七年、吉備の高島宮で八年を過ごしたとある。しかしこれは、この七年、八年とあるのは、多くの日を過ごしたとの意味で、加えて十五年という意味ではない。七、八という数字は古来日本人の考えにある聖数である。
さらに途中で三人の兄総てを失いながらも東へ兵を進め、天照大御神が遣わした八咫の烏の導きもあって、畝火の白橿原宮で辛酉正月朔日、第一代天皇として即位し皇后として富登多多良伊須須岐比売命を迎えた。
建国神話のうち、特に『日本書紀』の記述は、明治維新に大きな影響を与え、神武東征の折りの金色の光を放つ鵄の飛来は、軍人の武勲の章として金鵄勲章の制定となったりした。また『古事記』の中に書かれている人間的神話の一面は隠され、『日本書紀』の東征武勇事績なそのみが、明治以降太平洋戦争までの間、日本国民の精神昂揚の基調とされた。
神武天皇を主祭神として祀る神社は、明治初年まではなかったが、明治二十三年三月二十日、大和国に橿原神宮が創設され、同日官幣大社に列せられた。